64(ロクヨン)を観ました。
734の悲劇
引っ越しましたよ、ええ。
そしたらさ、役所で転入届けの手続きしたりするじゃないですか。
僕もいきました。役所に。
転入届けの窓口が激混みだったので、先に児童手当の窓口にいってしまおうと。
転入届けの窓口の受付番号を発行して、児童手当の窓口へ。
僕の読みは当たってました。
児童手当の手続きは待ちがなく、ソッコーで完了。
で、転入届けの窓口に戻りました。
でもね、おかしいの。待てど暮らせど呼ばれないの。
僕が持ってる受付番号が。734番が呼ばれない。
メールの返信やら、今後の予定の確認なんかもしたけど、まだ呼ばれない。
……小一時間して気づいたね。ここで呼ばれてるの300番台ばっかじゃないか!
俺の700番台なんて誰も呼ばれてないじゃないか!!
どうやら児童手当の受付番号を手にしたまま、転入届けの受付番号は紛失(たぶん児童手当の窓口に置いて来た)してしまっていたみたい。
そっと、受付番号を取り直しながら思いました。
最初から素直にやってたら、今頃手続き完了してたな。
まだ疲れが残ってるな。。
最後の夜、最高の夜
東京での2年間の最終日、勤務を終えた後は、飲みに行きました。
友人と飲みに行ったあと、最後はよく飲みに出かけた新橋へ。
私の東京生活最後の地としてふさわしいと思ったからです。
そして、お気に入りの店で始発まで飲みました。トマトジュースを。
お気に入りの女の子からは、
「お前は私のなんだ? 下僕だろ? 嬉しそうにするな、気持ち悪い」
「お前は私の財布だからな。あーお腹すいた。フードとドリンク頼むから。『はい』じゃねーだろ、財布が喋んな」
などと罵られた挙句頼んだフードとドリンクに手をつけずに他の接客に移るなど、なんかもういろいろとこの激動の2年間を締めくくる集大成として育成大成功したことを申し添えておきます。
いつでも行けると思っていた場所にいつでもは行けなくなることを考えたとき、やっと東京を去るのだなという実感が湧いてきました。
始発を待つホームは寒くて、手もかじかみ、体が震えていました。
日常であればそんなネガティブな状況も、「最後だから」という言葉で修飾され、なにか特別なもののように感じられました。決して本当はそうじゃないんだけれども。
最後の夜は最高でした。
恥ずかしながら帰って参りました。
本日で2年の任期を全うしまして、某中央省庁での勤務を終えました。
いやーーーーー、長かった!!
つか、まだ終わった気がしなさすぎる。ジワジワくんのかな、これ?
来週は地元の元の仕事やってるとか信じられないわ。本当に。
去るとなると寂しい気持ちもありますね。名残惜しさというか。まだうまく気持ちを切り替えられませんが、とりあえず今夜は飲み明かします(笑)
人工知能の核心を読んだ
おもしろかった!
羽生さんの文章は読みやすいわ〜
とても参考になったり、思うところもたくさんありましたが、私のアタマではうまく整理できません(笑)
感じたことを簡単に挙げると。
・個人も社会でもAIにどれだけ思考や判断をシフトしていけるのかを考えなきゃいけない。
・そのためにも人間は「これをしたらうまくいかない」という判断ができるようになるために実体験としてチャレンジし続けることが必要。かつその過程で失敗しまくるのも重要。結果として判断の羅針盤の精度が高まる。
・AIを活用することイコール究極的には人間のやること、なので、悪用するやつもいるし、想定していないことも起きるだろうから、100%信じちゃいけない。AIも人間の判断も。社会への貢献、影響等も考慮しながら活用について模索していく。
とりあえず私の転居のための荷造りはまったく進捗していないこともあわせてご報告いたします(笑)
以上です。