サミット
個人的にリスペクトしているスーパーマーケットにヤオコーがあります。
品揃えが多岐に渡っており、幅広で多様な生活層の顧客に支持されてるんじゃないか。
そして、整頓され視認性に優れた陳列も素晴らしい。
ヤオコー、マジリスペクト。
話は僕の生活圏に変わって、仕事の帰り道にスーパーマーケットのサミットがあります。
多分都内を中心に展開しているんだろうけど、品揃えは押さえるべきところをしっかり揃えているし、都内という条件もあり店舗面積が広くないながらもスペースの使い方が良いなと感じていました。
僕にとってサミットには、なにか特別なウリがあるようには見えないけど、ネガティヴな面も一切見えない。
一度だけこの店員のレジ対応が不快だな、と思ったことはあるけど、すぐにそのスタッフいなくなってたしね。
マイナスなところがないことがウリかもな、と。そう感じていました。
ある日、仕事帰りに晩飯を買おうと、サミットの惣菜コーナーに寄ったんです。
だいたい僕が仕事から帰る時間帯になると、50円やら100円の値引きシールが貼られてるんですわ。
なので、その値引きシール付きの惣菜狙いによく立ち寄るってわけ。
その日も50円の値引きシール付きの惣菜を購入して、レジへ向かいました。
レジで会計を済ませて、お釣りの220円を受け取ろうと思ったときに、ちょいアクシデント。
僕がお釣りを受け取り損ねて、コインが一枚レジの下(台の陰になるところ)に落ちたのね。
手元をみると120円しかない。
レジでは後ろに他の客が並んでいましたから、そこでモソモソ探すわけにもいかず、落としたであろう100円を諦めて、買った商品を袋に入れるべくレジを離れたわけ。
商品を袋詰めしながら、「50円の値引き商品買って100円落とすって、俺は得したいのか損したいのかよくわからないな……つーか、単に損してるんか! 100円落としただけで、100円の価値以上に気分が沈むわ〜、もー嫌になるわ〜」とかなんとか思っていたんです。
そこに、先ほどのちょっと恰幅のいいレジの男性店員さんが僕のところに来て、「お客様が落としたのはこの100円ですか?」って金の斧、銀の斧的に聞いてきてくれたわけ。
「いえ、私が落としたのは10円です。」
「よろしい。本当は100円を落としたのに、なんたる慎ましさ。褒美に千円札を……」
とはならないので。
「あ、落としました。ありがとうございます。」と百円玉を受け取ったわけ。
すると、ニコっと笑ってレジに戻り、
「お待たせいたしました!」と僕の後ろに並んでいた客の精算を始めたわけ。
いや、すっげー細かいし、大きく取り上げるようなことでもないんだけど、こういうところだよね。顧客として満足するところって。
むしろ普通に買い物して帰るより満足度高かったわ。
お釣りを落とすというマイナスな出来事が店員の機転の利いた対応でプラスに転化したわけだしね。
まさにピンチはチャンスだわ。
さすがにレジで僕の後ろが詰まってたし、お釣り探すために動いてくれるとは思わなかったわ。向こうとしては、スルーしてもいいわけで。
店員のお釣りの渡し方に不備はなかったし、100パーセントこっちの過失だったしね。
今回の対応はさすがに店員のマニュアルには載っていないだろうけど、レジで後ろに客が並んでなければ袋詰めをしてもいいかと聞いてきて、やってくれるのね。
そういった対応がサミットの店員に対してマニュアル化されていると予想してるんだけど、やってもやらなくてもいいボーダーの作業を顧客側に立った視点でマニュアル化することで、無意識のうちに店員の接客スキルが底上げされているのかもね。
それらの積み重ねで店舗の雰囲気づくりとか、顧客がまた来よう、普段使いしようということにつながっているのかもね。
朝も開店前から店の入り口周りの掃き掃除をしていたりと、やはり積み重ねがスーパーサミットの店舗の礎を築いていっているんだろう。
スーパーサミット、その名前に偽りなし。
なんで俺は休日にスーパーマーケットの評論してるんでしょうか。