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JIKOKENNJIYOKU-NIKKI【21st Century】

明日から本気出すわ。

利己と利他

とある休日。

昼間っから都内某所で18歳とデート。

今年、19歳になるからセーフ(と思ってる)。

帰宅後、録画しておいたNHKスペシャルの「"介護殺人" 当事者たちの告白」を観ました。

 

"介護殺人"当事者たちの告白 - NHKオンライン

 

この行動の落差。

 

番組をみて、誰が悪いとも言えないし、これは自分に起こりうるかもしれないという漠とした不安があったりしました。

 

が、どの事例も当事者にしか分かり得ない苦しみや葛藤があったんだろうなと思うとやり切れなくなりますね。

 

印象に残った事例の一つに、兄から母親の介護を頼まれて介護しているうちに、母親を殺めてしまった弟の事例がありました。

 

失業中の弟は仕事と介護を両立して悩んでいた兄から母親の介護を頼まれたとき、「手伝ってくれ」と言われたら断っていたらしいです。

しかし、「助けてくれ」と言われたため、「うん、わかった」としか言いようがなかったとのことでした。

 

ある深夜に、母親が寝巻きの上下とバスタオルにどうやったらそんなに付くんだというくらいの糞便をつけた状態で弟のもとへやってきて、「私が何か悪いことをしましたか、私が悪いんですか」的なことを叫ばれたというエピソードを話していて、「これ、俺なら耐えられんな。狂うな」と怖くなりました。

 

 

で、タイトルなんですが、最近の自分は何かにつけて自分の都合の良いように解釈をして利己的な言動が多いんじゃないかと。

 

自らを利するようなことばかりをやっていると、バランスが取れなくなるというか、畏れの気持ちが出てくるんすわ。

 

たまたま立ち読みした桜井章一の本に棋士羽生善治と面会した時のことが書いてありまして、何がなんでも勝ち(=自分を優先する、利する)を求めたり、優先することは本質的に間違っている。自分を利することばかりしていると、卑しくなると表現していました。

 

勝ち負けよりも大事なものがある、的なことが書いてありまして、趣旨は、高め合う対戦相手をリスペクトしよう(リスペクトできる自分であろう)、つまり、他者を敬おうということと解釈したんですわ。立ち読みで一部しか読んでないけど。

 

このタイミングでそういった一節に目がいって、感じることがあったっつーことは、最近の自分の言動への警鐘でもあるんじゃないかと。

そう受け取ったわけです。

 

モヤりますね。

アタマの中でこうあろう、こうありたい、という自分と、最近の自分の言動とは隔たりが大きくなってきている気がしています。

 

知行合一という言葉がありますが、「NHKスペシャルみて感じるところがありました!」みたいなブログを書いて知った風なことを書いていても、アホみたいな日常の言動を積み重ねていたら単なる阿呆だな、と。

アホみたいな言動の全てが無駄とは思わないまでも。