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JIKOKENNJIYOKU-NIKKI【21st Century】

明日から本気出すわ。

現在の高齢者は10年前と比べて10歳若い

禿げてきたけど、床屋にいってきました。
東京に出てきてから、今の床屋は今日で2回目。
まだ担当者の方とフィットしませんが、僕が「ここをこうして欲しい」とかをしっかりと伝えず、「大丈夫です」と返事しているのが原因なので、自業自得です(笑)

さて、今朝の朝刊をみて結構昔からの知見が載っていて驚きました。

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日本老年学会の発表内容らしいですね。
しかも朝刊の一面!!

僕にとってはめちゃ身近な1992-2002年までの長期縦断研究TMIG-LISAの知見とかも載っていて、「おぉっ!」と思いました。

専門家だけでなく、全国紙の新聞に載ると世間に知見が知れ渡るのでとても素晴らしいことだと感じます。

でも、そこは情報に関するリテラシーがとても大切になってくるとも感じています。

今回発表された知見が世間一般に知れ渡るのは良いことである一方、それを鵜呑みにするだけでは、歪みが出てきたり、その事象が引き起こす負の側面に対応していけません。

例えば、今回の新聞記事には今の高齢者は昔の高齢者よりも元気だから、支えられる側だけではなく、支える側にまわりましょう、的なことも記されていました。

で、元気な高齢者が仕事をし続けると。
社会的に生産性も落ちないし、その高齢者の知識や経験も活かせるわけで、その人自身の社会的役割も保たれる。

その一方で、元気で活躍し続けられる高齢者が増えてきてしまうと、今度は若者が社会で活躍するチャンスが奪われてしまう可能性があるとも考えられます。

そのため、元気高齢者の活躍の場は別につくるという意見もありますが、そもそも、どういった形態の役割をどのように社会に組み込むのかなど課題が残ります。

こういった問題は、社会老年学の中での、離脱理論や活動理論、継続性理論などの学説によって考えられていますが、それらの枠組みが現実にそのまま適用できるわけではないので、様々な施策で対応していくことになるでしょう。

そもそも、高齢化社会の問題は高齢化自体が問題なわけじゃないんですよね。

人口転換理論によると、経済社会の発展とともに、多産多死社会から公衆衛生の整備などにより、多産少死社会となり、その後価値観の多様化、文化的な成熟を経て少産少死社会へと移行していく。どんな国もこの3段階を経ていくわけです。

そして、この3段階目が問題なわけでして、公衆衛生環境が整備されたりなどで寿命が延長され、人口が増えていくんですが、供給が減ってしまうわけです。つまり、少子化が問題なわけです。

高齢化社会の対策は、確実に増えてくることがわかっている高齢者たちに対する社会保障を始めとする施策は重要になりますが、それだけでは不十分で、少子化対策をしっかりきっちり行わなくてはいけないわけです。

でも、うまくいってないですよね。
僕個人としては、高齢化社会への施策自体も国の向かう方向性がとてもじゃないですが、まとまっているとは言えないと感じています。

例を挙げると、医療や介護が必要な状態となっても、可能な限り住み慣れた地域で暮らしていくことを目指す地域包括ケアシステムの構築ということをやっておきながら、一方では高齢期になったら都市部の高齢者は地方へ移住しようという施策、日本版CCRC(Continuing Care Retirement Community)といった取組も並行されています。

高齢化社会への対策は、待ったなしでありますが、少子化対策が遅々として進んでいないどころか全くもって最近は重要性が聞こえてこないところに危機を感じます。

我々の子ども世代だけでなく、孫世代やその後の世代へと、経済的、文化的なレベルを落とすことなく現在まで続いてきた日本社会を持続していく責任と義務が、我々にはあるのではないでしょうか。

と、専門家でもないのに語ってみました(笑)
さあ、チョコモナカジャンボでも食べて寝るかっ!!